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ティータイム

プロバンス地方の歴史と風土

 プロバンス地方 - アルプスから流れ下るローヌ川が、地中海に注ぐデルタ地帯その付近一帯。
プロバンス地方の歴史は古く、紀元前のローマ時代から始まったそうです。その昔、ギリシャ人はマルセイユに植民地をつくり、カエサルのローマ軍はアルルを握り、地中海沿岸からは十字軍が船出して行き、やがてアヴィニヨンに法王庁が建てられたそうです。
 輝く太陽、さわやかな空気、そして、ゆるやかな丘陵には小麦、野菜、ぶどうにオリーブが豊かに実り、地中海からの贈り物の魚介類に恵まれたプロバンスは、イタリア人もスペイン人もみなが欲しがり戦争が絶えなかった所です。

ベネチアグラスのムラノ島、トンマージ工房

 世界に名高いクリスタルはいくつかありますが、イタリア、ベネチア地方には有名なベネチアガラスが存在します。イタリア北東部アドリア海にある120もの島々を運河と橋で結びそこに出来た都市が水の都ベニスです。 中世の時代、優美なデザインは貴族社会を席捲し製法の秘密保持の為各工房は13世紀末「ムラノ島」に移されました。厳しい国家統制の下で高度な技術と職人達は保護され生産されてきたのです。アクセサリーだけではなくカップや食器、シャンデリアから筆記具、雑貨までその幅は広く、世界中の人気を博しています。また、デザインの国らしく顧客のニーズに合致した素早い作品作りと魅力的なデザインには定評があります。
ムラノ島にはトンマージ工房のように現在も伝統と優雅さを伝承しているものが多々あります。現在は観光ルートの一つにもなっている工房ですが、その工房からの提供された作品の数々をご覧ください。

最高級ニット・ベルー産「ピグーニャ」

 世界には合成繊維では到底敵う事の出来ないニットがあります。その代表格はカシミール地方の「カシミヤ」やオーストラリアの「ウール」等がありますが、実は最高級にランクされるものにラクダ科の「アルパカ」、更にその上位には「ピグーニャ」が存在するのです。
その動物はアンデスの高地にしか生息していず、その冬に生え春に抜け落ちる産毛を精練して美しく、柔らかいニットを製造します。しかし、絶滅の危機に瀕している「ピグーニャ」は飼育され許可のある業者しか直接触れることもできません。コート一着で数千万円という価値は頷けるものがあります。
同じアンデスの高地には「アルパカ」という同種のニットがあります。これもベビー(子供)となると簡単には入手出来ません。1970年代に世界を席捲した「アルパカ」ニットですがセーター、マフラー、手袋、ベストが欧州、日本でも大人気でした。しかし、元来アンデス地方はインカ帝国の土地でポンチョのような被り物が多かったはずですが、これはどうもスペインの大航海時代の影響だろうと云われています。
しかし、保温性だけでなく動物、自然を文様として抽象的にデザインされたのも人気を博した一因でしょう。いずれにしましても、手洗い、陰干し、縮み、ブラッシング等の手入れの大変さも現代の効率性とは逆効果かも知れません。もし、触れる機会がありましたら是非袖を通して体感されるのがよろしいかと思います。

西洋陶磁の最高峰「マイセン」

 西洋陶磁を語る時、マイセンは欠かす事の出来ない名陶です。マイセン窯は1709年アウグスト2世の命令により、東洋陶磁に敵うべく国の外貨獲得政策として開発されました。しかし、完成には困難を極め白くて軽くて薄く美しい陶磁が簡単には出来ませんでした。その要因がカオリンという成分を含んだ土によるものと分かったのは数年も経た後でした。その技術を守るべく職人を閉じ込め流出を防止したのですが、リークしウィーン窯、ドッチア窯からコペンハーゲン窯へと100年かけて国柄の特徴ある陶磁器が制作されました。
マイセン窯でも優れた名品に「ブルーオニオン」があります。オニオンとはたまねぎの事ですが、どうやら東洋陶磁のザクロをオニオンと誤って命名したというのが通説です。いずれにしましてもマイセンを代表する西洋陶磁の美しさはボーンチャイナと呼ばれ250年を経た現代でも変わらず美しく、コレクターやファンを楽しませてくれます。
マイセン窯が完成してしばらく経つとコピー物が出回るようになりました。それを差別化する為に窯印「ポーセレインマーク」として底部にマークを入れるようになりました。相変わらず贋物を入手される方の多いマイセンは窯印専門書が出版されていますので、ご確認して購入される事をお勧めします。

素晴らしいアンティークシルバ−の職人たち

 UK(英国)が世界に誇る銀細工を施した職人を敬意を込めて「シルバースミス」称していました。その技巧はビクトリア王朝時代に最高のレベルへと達します。ロンドン郊外のショップでも逸品に巡りあえる事が多々あります。それらは暗殺を恐れた貴族社会の中で食器として重用され、また男女問わずアクセサリーとしても制作されてきました。王様と云えども晩餐に呼ばれた時はナイフとフォークは持参したらしく、現在の我々にはちょっと理解しがたい事でしょう。
純銀は毒薬との化学反応が著しく、またその反射光は金やプラチナよりも高い事から古代から珍重された高価な貴金属です。よって手入れも大変で常時磨かないとその美しさを保つ事は出来ません。そのような管理が出来るのが貴族社会だったのです。料理に毒が入っていたり、食中毒にも直ぐに反応し変色によって防止出来たそうです。このような特質からヨーロッパから韓国までフォークやスプーン、お箸として現在もその名残があります。
UKでは必ず「ホールマーク」が刻印されています。その銀製品の純度、純度を保証した試金所、メーカー、年代が専門書を見れば一目する事が出来ます。925は「スターリングシルバー」(純銀)と称しました。ビクトリア女王の時代に純度の高い955が製造されましたが柔らかすぎて食器として使えなかったようです。食器もアクセサリーも好みの作品と出会うと図書館で制作工房、名匠の歴史を紐解くのが楽しいんです。工房といっても家内産業のような小さなものですが100年以上経過した現在でもその価値は変わりません。ところが稀にホールマークの無いものが混じったセットに出会う事が有ります。日本だと「すわ!後制作か」と思いますが多くは単なる刻印忘れのようです。日本人のような四角四面ではない国民性、英国人気質によるものが大きいのでしょう。


世界の飾り衣装モラとクーナ族

モラは現在観光のメッカであり、優れた衣装はオールドモラと呼ばれコレクター憧れの的です。カリブ海に浮かぶパナマ共和国の小さなサンブラス諸島 などに住む先住民のクーナ族はかって裸族で女性は直接肌にペインティングしていたのですが、大航海時代キリスト教によって恥ずかしい事とさとされ衣装を纏うようになったのです。モラには本物のモラとレプリカモラが有り本物はクーナ族女性が直接ブラウスとして腹と背中「飾り布」として着用されたもので現地交渉で購入したものを言い、対してレプリカは染めていなくプリントで安易に制作されパナマで売られているものを指します。コレクターはわざわざ現地に赴き衣装の表裏を別々に額に入れて展示したりして楽しみます。
 中南米独特な原色を使った自由奔放な虫、鳥や花などの幾何学的デザインは生命力に満ちあふれています。TVの影響も有り1980年代から多くの観光客がサンブラス諸島に押し寄せるようになりました。しかし、直接島に渡れるのは酋長が許可をした方か知人を一族にもっているかに限ります。一族は完璧な純血主義であり、その為長年近親結婚が繰り返されてきました。よって、とても背が低く、突然白人の子が生まれたり、幼少で亡くなったりと一族は減少、衰退の危機にあります。21世紀中には滅んでしまうとさえ言う学者もいますが、一族の決意は固いようです。
コロンビアにも同族のクーナ族がいますが、いずれも治安は悪く、よほど地理、政治に詳しくない方の渡航はお止めになった方が良いでしょう。 
メキシコ太陽の名陶タラベラ陶芸

 古代ヨーロッパのスペイン、タラベラ盆地で創造された名陶はその地名をとり「タラベラ陶器」と命名されてきました。この陶器は、スペインでは「アスレホ陶器」と呼称される伝統的なタイル文様に変化します。また東部のペルシャ、シルクロードによって果ては中国からの陶磁器の様式を吸収しました。そして北部アフリカのアラブ人のスペイン流入によりイスラム圏の影響を受け、文化色の強い陶器として長年、タイルや表札、教会、壁、壷にと世界中で愛用されてきました。
大航海時代を経て16世紀、スペインの植民地政策と同時にメキシコに辿りついた陶器でしたが、様々な事情から歴史上一度消滅致します。しかし、19世紀、メキシコが独立しグァナファト地方を中心に名陶再興の動きが起こります。そして、1997年、メキシコ合衆国政府からの伝統工芸保護策の適用を受けるに至りました。名陶の作家、工房名が底部に必ずマーキングされています。また、メキシコ特有の太陽、月を思わせるプリミティブなモチーフは大胆かつ繊細で、その鮮やかな色調は絵画、陶磁器に慣れ親しんだ私たちに心地よい感動を与えてくれます。

 

精密な孤高のアンティーク「ボタニカルアート」

 中世ヨーロッパでは銅版画という技法が発達し、書籍、図鑑、イベントポスターとして多用されていました。ミレー等の巨匠も好んで刷り上げて現在でもその作品に出会う事が出来ます。蔵書はタイプライターの出現までこの技法にて部数を限定し本の装丁は一流の革を使い、劣化しないインク、一級の紙により湿度と日光を管理しつつ200年以上経った今日でも変化せずその美しさは正に芸術であろうと思います。
その分野で植物、鳥類図鑑と呼ばれるものが「ボタニカルアート」です。大航海時代によって正確なサンプルが入手出来るようになりました。特に1700年代から1900年代までロンドンでは盛んに制作されその精密度と色の発色は銅版画や蔵書というより歴史を知るうえで貴重な研究資料にもなっています。作家は絵で再現し、その植物、鳥類の研究家として資料編纂を行ってきました。特に著名な作家としてウィリアム・カーティス、フィリップ・ミラー、エレン・ウィルモット、フランソワ・ニコラ・マルティネらがいます。アートコレクターとしては蔵書から版画の部分だけを切り取り額装する訳ですが、蔵書コレクター側から見ると欠落品と判断するでしょう。かって私どもが住む地上に彩りを与えた動植物たち。繊細で美しい姿は現在の環境保全を訴えているのかも知れません。住まいに気品、品格をサポートする作品で心落ち着かせて楽しみ、癒されたいものです。

 

UKキングアーサー伝説

 昨今、映画でも有名になったUK(英国)のアーサー王の伝説です。英国の先祖を辿れる伝説の舞台はテンタジェルという村は英国の最西部に位置する海に面した小さな村です。映画での紹介では伝記は16世紀頃制作されたとの説と1千年前という学者がいるとのテロップが流されていました。この
テンタジェルには断崖にそびえて立っていただろうと言われる古城の城址があります。また、この城址は岬の断崖絶壁ある為観光客はきつい階段を登っていくしかないので大変です。しかし、登り詰めると海と空を一望出来る荘厳な風景が飛び込んできます。ここがアーサー王誕生の地と言われる場所なのです。16世紀に作家ジェフリーが、アーサー王が6世紀にティンタジェル城で生まれたと書物に残した事が発端になりました。以来、騎士団伝説やアーサー王の物語が語り継がれ19世紀ヴィクトリア王朝時代にはロマンチックな時代背景も手伝ってアーサー王が実在したかのような人気が定着したのです。

神話は更に誇張され、英国の画家は競って題材とし描き、詩人は詩集に王の偉業を遺し、果ては「お伊勢詣出」のようなお参りが流行となり、アーサー王生誕地詣出をするようになりました。しかし、後日、考古学的研究が進んで来ますとどうも王の伝説6世紀と城址の12世紀には少なくとも600年のずれがあり、正確には王の城ではなかったと言わざるを得無いことが分かってきました。しかし、気位の高い英国人からするとそんな事はどうでも良いらしく、断崖絶壁の城址が王の城であったと信じ、英雄視したいのかも知れません。そんな事を頭に入れて映画を見るのも楽しいかも知れませんね。

ウィチョール族「糸の芸術」

 メキシコは輸入商材としては弊社の点数NO1なのですが、メキシコ西部には山岳民族としてネイティブインディアンとして「ウィチョール族」がひっそりと暮らしています。マヤ文明に近似しているところも多々ありますが、独自の政府を持ち他国の干渉を受けずに暮らしている彼等の自然との関わりあいに驚かされます。シャーマンだけが許される神「宇宙」との交信には独特の音楽があり、心響かせる波動には現在世界でも大変有名になっており各地で公演されるほどです。シャーマンは踊り神の言葉を伝えます。その神がかり的要素は自然に逆らわず生きているという私たちが忘れかけたものでしょう。

神はこう言うのです「今、何かをしなければならない時が来た。何をすべきかは分からないが地球のメッセージを伝える事がまず前進だ。恐らく何かに生かされているであろう人類、私利私欲を捨てそのメッセージを世界中に伝える事が大切」と。
彼等は交信の様子を糸の芸術として板に張り付けていきます。それは日本の絵馬のようなものらしく供物として神に捧げる作品なのです。この作業は男性にしかゆるされていません。世界中のコレクターがそれを欲しても、彼等は売ってはくれないのです。金銭の問題ではなく魂の世界だと言うのです。その魂の叫びは音楽と踊りもアートも我々にとって必ず強烈なものに感じることでしょう。